『語られない言葉』
2001年8月28日スナフキンからの手紙という
本を見つけた。
そこにはたくさんのラブレターが載っている
私はその本に寄せられた『ラブレター』に
惹かれたのではなく
その『スナフキンからの手紙』を手がけた
方のある言葉に頁をめくる
手が止まった
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ほとんどのラヴ・レターが『素直になれない私』と『本当はこうしたかった私』について書いている文章だったからです。
『どうしても素直になれない』から『本当はこうしたかったのに、ああしてしまった私』というミもフタもない要約ですべてが、すんでしまうラヴレターがほとんどでした。
読みながら僕は、「ぬわにを甘えたことを言っとんのや!恋愛は勝つか負けるかやんけ!」と叫んでいました。
膨大なラヴレターを読んでいるうちに、そんなに簡単に「語られない言葉」を作ってどうすると、
心の中で突っ込んでいたのです。
あなたが素直になり、心の中の言葉を語り、したいようにした時に、初めて、
「語られない言葉」
が生まれるんじゃないかと思ったのです。その恋が実ろうがだめであろうが関係なく。
いえ、実ったら、だからこそ生まれるんじゃないかと思ったのです。
ミもフタもなく語った後に、初めて「語られない言葉」が生まれるだろうと僕は思っています。
本当の「語られない言葉」は、戦いの後に生まれると思っているのです。
そして、その「語られない言葉」が、人生そのものになった時、物語は、「ファントム・ペイン」へと続くのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
日本には『以心伝心』というやっかいな?
言葉がありますよね。
語らないで伝わることを美徳とする風習があるようです。
ですが自分は『以心伝心』という言葉は
願い!
の表現だと思っています。
人間はいかに『以心伝心』しないかを知っているからこそ、
☆奇跡の一瞬を願う言葉☆ だろうと感じる。
そして永遠も・・・
私達は『語られない言葉』の使い方を
間違えてるのかな
ふっ。。。と思った 昼下がり
奇跡を願う スナフキンへ
本を見つけた。
そこにはたくさんのラブレターが載っている
私はその本に寄せられた『ラブレター』に
惹かれたのではなく
その『スナフキンからの手紙』を手がけた
方のある言葉に頁をめくる
手が止まった
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ほとんどのラヴ・レターが『素直になれない私』と『本当はこうしたかった私』について書いている文章だったからです。
『どうしても素直になれない』から『本当はこうしたかったのに、ああしてしまった私』というミもフタもない要約ですべてが、すんでしまうラヴレターがほとんどでした。
読みながら僕は、「ぬわにを甘えたことを言っとんのや!恋愛は勝つか負けるかやんけ!」と叫んでいました。
膨大なラヴレターを読んでいるうちに、そんなに簡単に「語られない言葉」を作ってどうすると、
心の中で突っ込んでいたのです。
あなたが素直になり、心の中の言葉を語り、したいようにした時に、初めて、
「語られない言葉」
が生まれるんじゃないかと思ったのです。その恋が実ろうがだめであろうが関係なく。
いえ、実ったら、だからこそ生まれるんじゃないかと思ったのです。
ミもフタもなく語った後に、初めて「語られない言葉」が生まれるだろうと僕は思っています。
本当の「語られない言葉」は、戦いの後に生まれると思っているのです。
そして、その「語られない言葉」が、人生そのものになった時、物語は、「ファントム・ペイン」へと続くのです。
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日本には『以心伝心』というやっかいな?
言葉がありますよね。
語らないで伝わることを美徳とする風習があるようです。
ですが自分は『以心伝心』という言葉は
願い!
の表現だと思っています。
人間はいかに『以心伝心』しないかを知っているからこそ、
☆奇跡の一瞬を願う言葉☆ だろうと感じる。
そして永遠も・・・
私達は『語られない言葉』の使い方を
間違えてるのかな
ふっ。。。と思った 昼下がり
奇跡を願う スナフキンへ
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